P a i n t e d  W o r d
(2001-2003)

 

>>Past(No.2:2005-2006) >>New(No.3:2009-XX)

>>kfsm's  >>SMTop


pw1.tv personalities pw2.live pw3.シーレ pw4.幻丘 pw5.fusion
pw6.ghost70 pw7.ラジオ pw8.背徳うさぎ 〜ラビッツの世界 pw9.movie pw10.reset
pw11.speed pw12.primal tone  
          〜最初の音
pw13.ピクニック pw14.speed-2 pw15.son
pw16.タイムリミット pw17.repeater pw18.sicp pw19.60年代 pw20.凡人の義務
pw21.rise pw22.summertime pw23.short sky pw24.表情の点 pw25.表情の点−2
pw26.アーカイブ pw27.拝啓、NHK様 pw28.捻れ pw29.blind pw30. 2002
pw31. ガソリンの香り pw32.昭和症候群 pw33.poptones pw34.本当の事 pw35.神経衰弱
pw36.LIZARDと私(1) pw37.LIZARDと私(2) pw38.産物 pw39.チェンジ pw40.デストロイヤー
pw41.パンク・ロック pw42.想像 pw42.word pw43.ここ、そしてここじゃない場所 pw43.自画像を描き続けている


      Painted Word
          〜前書

                    since2001

 心と日常の風景を切り取って言葉に変えて行く。歪みっぱなしの私世界を、沢山の色を付けながらcut upして行く。その言葉は私の知らない所で結びつき、振り返って見た所で大きな1つの絵を見せる。そこで見た輝きの中に時間と感覚の交差を感じながら、新しいビジョンが生まれて行く。そして私はまた1歩前へ進む事が出来る。

  このページはその時々に私が感じている事や、過去の記憶をまとめ上げていきたいと思うが、過去に発表した歌詞や作品にオーバーラップしていくと思うので、私自身それも楽しみながら、1つの絵を描き上げて行きたいと思う。

  
自画像を描き続けている
  

 2003/10/17
 大きな憧れから始まって、記憶を見つけて苦しんでいる。そこに置いてきた物や白い家の壁、べたつく風に吹かれながらも焼けた肌はその時の中で遊ぶ子供達を歓迎していた。それでも結局、心の軋轢は大きくなって、未だに私は息の詰まりそうな顔をした大きな自画像を描き続けている。何重にも絵の具を重ね、塗り終わる頃にその虚構を削ぎ落とす。そこから出てくる物はいつも白いキャンパス。白い、真白いあの人達の骨で作られたキャンパス。だから私はまた自画像を書き続ける。涙を流しながら、たった一枚の自画像を書き上げようとしている。

ここ、そしてここじゃない場所

 2003/03/14

 「ここ、そしてここじゃない場所」。これは吉野大作&プロステテュートの曲のタイトル。なぜか心に引っかかっている曲で、何かと思い出すタイトルだ。“ここ”とは、どこで、“ここじゃない場所”とは?それは心の中の何処かなのか?時系列の狂ったタイムトラベルの話?難破船?なぜか、白い帆が風になびく。どこか見知らぬ所へ流されて行ってるのか?また鐘がなり始める。唯生かされているだけの毎日。混沌。全く出口が見つからない。
 収集がつかなくなった。でもそんな感じの名曲なのだ。


Word    

 
2002/12/13
 歳をとると共に、イメージから湧き出す言葉や単語の組み合わせが貧困になってくる。歌詞を考えていても、良いフレーズが思い浮かばない事もしばしば。それでも何故考えるのかといえば、以前とは違う新しい知識となった言葉から新しいイメージが描き出せるかもしれない!という思いがあるからだ。現在のスピアメンの曲は、昔に比べたら抽象的になっていると思うし、轟音ながらも間が多くなって来ているので少しの言葉でも相乗的に映像を生みやすい。
 ちなみに私の歌詞の作り方は、カット・アップして適当にイメージに合った言葉をつなげ行く、という方法をとっている。いわゆる、言葉のコラージュである。ワンフレーズに意味の無い事もあるが、全てを書き上げた後に見返すと、その言葉の羅列が非常に美しい景色や、自分でもはっとするような意味を持つ事が多々あり、それが面白くてこの方法を私は長らく使っている。最初にあげた「フレーズが思い浮かばない」という事と「意味の無い言葉をカットアップする」は矛盾していると思う人もいるかもしれないが、いくらカットアップでも最低限の素材(言葉)は必要なわけで、大変ながらも出来上がった時の快感が忘れられずに言葉を捜し続けているのである。
 イメージは、頭の中にある。あとは、今ある最高の言葉を捜し、そいつをカットアップするだけだ。

想像

 
2002/12/06

 タルコフスキー。抽象的で観念的、ロードムービー的でもある。ソラリスはクレイジー。別の映画では蝋燭の火を消さないように歩く人を、底の水溜りが呼び込む風に蝋燭の火は消え、人々は笑う。あれも長い映画だった。少し前に見直した時にそう感じた。もっと前に見た時は全く長くは感じなかったのに。想像力や、感性が歳と共に鈍っているのか?それでも、タルコフスキーは私をあの頃に引き戻す。
 SACRIFICE。最後の作品は、ロシアの巨匠が息子に残したメッセージ。美談だが、それは私の外の世界の出来事。始まりは息子と2人で木にやる水をくみに行き、最後は子供一人で水をくむ。爆撃が始まって、イカレて行く人々。爆撃機の轟音が近づきコップの水を揺らし、崩れた壁はレンガ色に赤茶気て壁の下の死んだ人を肥やしとして美しい花が咲く。
 退
に真っ直ぐ伸びた道。私達は、そこからはみ出す事は出来ない。しかし、それもまんざら悪い物でもない。小さくうなづきその流れに身を任せ、ゆっくりゆっくり流れて行こう。道は1本でも想像すれば景色はどんどん変わっていくのだから。


Punk Rock

 
2002/10/04

 20世紀ポップ・ロック大全集Vol.7〜パンク編をDVDで見た。
 妙に普通な今のジョナサン・リッチマンが登場し、音だけがモダーンラバース。ジョナサンは、鬱蒼とした日常を吐き出すように重い声で歌う。パンクの出現を間近に控えたNYにはぴったりの声だ。やっぱモダーンラバースかっこ良いわ!で、ラモーンズ、テレビジョン、ブロンディー、etc・・・ブランク・ジェネレーション。USでは、何も無い世代がそこから抜け出そうとエネルギーを放出したのに対し、面白かったのがジョニーロットンのいたセックス・ピストルズだ。確かに当時のUKの若者もやることは無かったが、それでもサッチャー政権に対する怒りをエネルギーとしてフラストレーションですら楽みに変えていた様に思うが、そんな中USツアーから帰ったピストルズは、パンクや自分達すら幻想だった事を確信し解散する。そして、ロック・イズ・デッドという名文句を残し混沌とした内側に入り込む様にPILを結成する。
 空白の世代から出発し新たなエネルギーを得たUSと、混沌や怒りをエネルギーに出発し衰退していくこととなるUK。それでも、どちらも純粋だったが故の出来事だったのだろう。
 どちらにしても、私には刺激的であり、パンクが私の原点となり私が今ここにいるのは間違い無い。※私がパンクスだった事は一度もありません。

デストロイヤー

 
2002/08/19
 思い出のレコード。中学の頃、テスト前になると「成績が上がったらレコードを買ってやる。」と言われた。頑張ったような頑張らなかったような・・・。当時の成績としては中の上で悪い方ではなかったが、親としてはもっと上をと期待していたのであろう。私はKISSやクイーンを、リクエストした。KISSはデストロイヤーあたりだった。しかし、私の成績は同じような所をフラフラしていた。が、親としては今後に期待を込めてレコードを買ってくれた。高校に入ると親はもうレコードなどで釣るような事はしなくなっていた。登る事が一度も無く急降下。そして高校卒業。その時、私の下には誰もいなかった。KISS“デストロイヤー”、クイーン“ライブ・キラーズ”、ツェッペリン“V”、これらのレコードはその時手に入れた物だ。刺激的だった。ラジオのノイズにさえ興奮していた頃、こんなの聞いてたら勉強も出来なくなるよ。
チェンジ
 
2002/08/19
 書きたい事はたくさんあるのに、一つ一つの言葉がまとまってこない。もっともっと刺激が欲しい。たくさんの言葉を吐き出させてくれる。〜紅蜥蜴を聞きながら
産物
      
 2002/05/17
 青い足の鳥が2羽こちらを見ている。くちばしは灰色で、既に声を出す事は出来なくなってしまったが、それがさも私のせいだと言いたげだ。1羽は左を向きつつあるようだが、ぜんまいが切れた様に片足を上げたまま止まってしまった。曇った空の下の岩肌で、バランスを取っているのかそれとも首が回らなくなったのか?ただはっきりしている事は、次の月が来るまで横になる事は出来ないという事。エゴと憂鬱。

 LIZARDと私(2) 

 2002/03/29

 81年、私は東京でSPEARMENの前身となるバンドを始めた。当時はE.D.P.S.をよく見に行った。フリクションや町蔵も見に行ったが、リザードはしっかりした活動をしていなかったか、情報不足かで見る事は出来なかった。時が経ってやっと活動を再開したリザードは、確かリズムボックスにワカとモモヨ(Vo & G)という編成だった。それでも、その潔さが妙にかっこ良かった。しびれた。時は経って88年、SPEARMENは初のアルバムを出す事となる。レーベルはdisk unionのレーベル”dew”、プロデュースはLIZARDのモモヨ。どういう経緯からdewから出す事になって、モモヨにプロデュースしてもらう事になったのか定かな記憶はないが、地引氏方面から来た話だと思う。レコード製作が始まった。事前のミーティングや、レコーディング中、モモヨは常に的確な指示を出してくれた。私たちに多少(かなり?)の緊張や演奏能力面で問題はあったが、とりあえず終わらせる事が出来た。不思議なアルバムだった。金属の美しさと響きを感じさせる音作りをしていた。私は密かに「リザードが少し前にレコーディングした岩石庭園でのスタジオワークがうまく影響した音作りだな。」と思っていた。発売当時は賛否両論あったが、あれが当時の私達のベストな物だったし、私にとってはいつ聞いても斬新で新鮮なアルバムだ。その近辺にliveを一緒に数回やらせて頂いた。あれから既に12年の歳月が流れた。私の適当な性格のせいで連絡はあまりとっていなかったが、最近とった数回の連絡からまたライブを一緒にやらせて頂ける事となった。
LIZARDと私(1) 

 
2002/03/20
 どこから書き始めよう。私とリザードとの関係を・・・。すごく側にあったバンドの様な気もするが、かけ離れた別世界のバンドの様な気もするからだ。70年代後期、東京ロッカーズという地下世界にうごめくバンドの集団があって、その中にリザードはいた。東京ロッカーズの名を最初に見たのは音楽雑誌のグラビアで、それは新宿ロフト前で30人程で写された写真だった。ふてぶてしい面構えが、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。が、その時は「東京ロッカーズ・・・何て人数の多いバンドなんだ。」と、大きな勘違いしていた。それからほどなくして東京ロッカーズとはバンドの集合体の名称である事を知り、リザードの2nd”バビロンロッカー”に出会った。そこには当時の田舎の少年が触れた事の無い迷宮に落ちて行くような世界があったが、同時に無限大の可能性とエネルギーを秘めている様にも感じた。見事にはまってしまった。そして、東京アンダーグラウンドシーンの情報を探すようになったある日、リザードが地元近くのライブハウスへやってきた。決して多い動員ではなかったが、その空間にはアンダーグラウンドなエネルギーが充満していた。サングラスが地下のライブハウスに鈍い光を放っていた。地下世界に一歩足を踏み入れてしまった気がした。

神経衰弱

 
2002/03/07
 何度目かのが来て、私はまた風の中。吹き上げられて見下ろした風景20年と何も変わらず、12号室では底の穴から入ってきた住人達がいて、そこにはどんどん小さくなって行く私も見える。神経を衰弱しながらあげ足を取り合う意志薄弱のい傘。スリッパはあまりの汚さから誰も履いてはいない。傘の下ではまた新しい夢が始まって、の燃える音がプチプチプチプチ住人達の耳に囁きかける。いつからそこに居たのか、何度でも自慰を繰返す盲目の天才突き落と白昼夢でまた穴の底から振り出しへ。フラッシュバックのカットアップ。全く意味の無い君達の発言は、オセロの逆転劇でも見る様にたったの一言で裏返る。60年代の映画館で逃げそびれた青年。両手の爪の間が泥でいっぱいの女。トレンチコート。ヘルメット。全てがってもゲームは終わらなかった。そして、あの時見逃していた映画がまたやって来る。感触は多分20年前と同じ。結局、君ではない君と私はうまくしゃべれずに神経を擦り減らすだけ。消灯の時間になっても誰も止めようとはしない。水面を揺らす風の緑の夢を見損ねた人達。そう、私も12号室の住人。

本当の事

 2002/02/12
 いつまでそこにいるつもりだ?時代が変わっても、未だに君は過去を引きずってるけど。そこには、見慣れた顔がたくさんあって、誰も君を否定せずにいてくれる。そこの居心地はどうだい?でも、その見慣れた顔は既に幻で、君の見ているのは10年以上も昔の残像。新しい過去を見よう。新しい靴に履きかえて、新しい今を見よう。一瞬を歩き続けて底無しの湖の中心まで辿り着いた時に、波紋を消してそこでずっと君を待っていた誰かを捜し、少しでも多く本当の事を話そう。本当の事を話そう。今、君の話が聞きたい。

Poptones

 
2002/01/24
 ゆっくりと流れているのは、ジャーウーブルのベースライン。うねりながら進む金属の塊。ダブのリズムの中で溶けてハイになったL・Pの脳みそが体の中に染み込んで行くのが分かる。何も生まれてこなかった時代と言われたカンの蓋を開けてみろ。そこから溢れ出した空気こそが、沈みきった光の反射を跳ね返す鏡。だが、目覚しい進歩を遂げた日本人には到底分かるまい。リズムを刻む手からかすかに血が滲む時までは。
昭和症候群
 
2002/01/24
 昭和、日本、80年代。引きずりながら歩いている。私は昭和症候群。未だに抜け出せずにいます。
 
ガソリンの香り

 
2002/01/18
 最近はなくなったが、昔よく、鼻の奥の方、目の裏の方でガソリンの香りがする様な錯覚を覚えていた。何故そんな感覚に襲われていたのかは当時も今も良く分からない。空想好きであった為、そこから発せられた感覚だったのかも知れないし、自転車屋を営んでいた親戚の家に充満していたオイルの香りが頭の何処かにインプットされていたのかもしれない。しかし、そんな時はいつもモヤモヤとした空想に近い事を考え始めていたり、ボーっとし始めの時に多かったような気がする。ナチュラル・トリップする時に何かが脳の中に分泌されていたのかもしれない。何か、ものすごく懐かしくて大事な物だった様な気がする。SPEARMENの歌詞に出てくる「オイルの香り」とは、そんな感覚を指している。
2002

 
2002/01/08
 また新しい一年が始まった。ここは新しい始まり。しかし、扉を開けても何も変わらない世界がそこにはあって、レンズの向こうには奇妙な言葉を話す人達が住んでいる。去年と同じか・・・、でも何かが違う様だ。体は軽いし、アルコールの入ったビンの底には少しだけ潤った魚が活気を取り戻し始めている。空を飛ぶ鋼鉄の鳥が落として行く幻覚も、今は少しも恐ろしくはないし、その幻覚からカットアップされた言葉はどんどん意味を持ち始めている。新しい音が私達の中から湧き出しつつある。光の束のスピードと同化する時。

Blind

 2001/12/20
  扉が一つ閉じたままでは、多分、心の解放は無理だろう。あまりにも悪い風通しで、ジメジメしているから始まりも無ければ終わりも無いのか?アルコール洗浄されたベルを鳴らすその家の住人は、目隠しをしたまま住んでいる。私は横目でその光景を眺めながら再びその家の前を通る気にはなれない。強い雨で全てが見えなくなってしまう時までは。

捻れ

 
2001/12/14
 底から抜け出せない人。その人を冷ややかに見つめる人。言い訳ばかりの人と、うなづくばかりの人。去らなければいけない人。帰れない人。忘れられない物を抱き続けてる人。触れる事の出来ない人。救いようの無い人。目の前で起っている出来事の大きさに気付いて無い人。見て見ぬ振りをしている人。泣き続けてる人。いつ終わるか分からない緊張を強いられている人。終わりの近づいている人。デジャヴの様に何度も繰返される世界は、ただただ混沌として私の側に立っている。
 
拝啓、NHK様

 
2001/12/03
 深夜にふと目が覚めると、何故かインドの音楽が流れていた。これはインドのポップスか?ラビ・シャンカールも流れていた。シャンカールとはビートルズ他のアーチストとも交流のあるシタール奏者だ。「インド音楽の音階はやっぱ面白いな。」・・・って、そういう事ではなく、これはどうやら全プログラムが終了した後に流している映像らしい。その音楽に合わせてインドの映像が流れていた。寝直すまでTVを付けていたが、ずっとインド音楽だった。気になって、別の日に見てみれば、今度は南米の音楽と映像が延々流れていた。次に見る時は何処の国の音楽が流れているのか、ちょっと気になったりしている。アーカイブスといいこの良質垂れ流し映像といい、「なかなかやるじゃないかNHK!」と思った。でも、受信料はこれからも払うつもりはない。
   
アーカイブス

 2001/11/20

 日曜の夜12時頃、NHKで「アーカイブス」という番組がやっている。60〜70年代に記録されたドキュメンタリーやドラマなどを流している。水俣病の記録や、大阪万博の高い塔を作ったトビの話、最近見たのは佐藤蛾次郎扮する座敷童子と都会から越してきた子供の物語りといった具合で何を中心にという番組ではないが、高度成長期の激動の昭和を映し出している。この番組を見ていつも感じるのはとにかく暗いという事だ。高度成長期の喧燥の中に産み落とされた公害や精神的な歪みは、壊れ行く日本を予見しているようにも見える。そう見えてしまうのはただたんに昔の映像だからなのかもしれないが、敗戦国としての日本と再建を目指した汗の滲んだ努力の結果が映し出されているからなのかもしれない。だが、私がこの番組を見てしまうのは、そこに映し出された世界が私が育ってきた時代であり日本だからで、そこには私の感じて来た重さと緊張が常にあるからなのだと思う。
表情の点-2
 
2001/10/18
 真意は表情の点と点の延長線上にある

表情の点 

 
2001/10/16
 真ん中の表情が足りない。そう感じる事がよくある。あるのは喜怒哀楽の端と端の点で、その点は少しだけ人より高く、周りを見渡しながら瞬時に入れ替わる。いつ、何処でスイッチが入るのか?ゆっくりと放物線を描きながら・・・素早く・・・雑踏の中、君と話している最中、それともLIVEの時か・・・。真ん中の顔。優柔不断な私が否定と肯定を繰返そうとするからなのか?その点と点はますます離れて行くばかりで、一向に短くなる気配は感じられない。その距離の大きさは私の座る椅子の深さと比例しているが、ここから君達までの距離を正確につかむ事は出来ない。永遠に縮まる事の無い距離。表情は潔癖。

Short Sky
 

 
2001/09/28
 
 今でも心は落ち着き無く揺れ続けている。少年の頃、アパートの屋上に寝そべって見上げた空に吸込まれて行ったあの感覚と同じ。そいつはますます複雑になって今でも私の中に重く広がり続けているが、あの景色はコンクリートのベッドから落ちた今では見る事は出来そうも無い。あいまいになって行く記憶の中で、壁伝いに歩く美しい人達の声も聞こえなくなった。それでも頭上には短い空があって、今も私の手をつかんで放そうとはしない。妄想。見上げれば、そこにはあの時と同じ空があって、時間や場所や距離や、すべてを軽く飛び越えてしまう。未来と過去をつなぎ合わせながら、高く、高く。


Summertime

 2001/09/18
  ビリー・ホリデイのsummertimeを繰返し聞いている。作曲はジョージガーシュイン。美しくて、純粋で、あまりにも切ない歌。「ポーギーとベス」というオペラの中の曲らしいが、私は見ていないしこの歌が作られた経緯も知らない。それでも彼女が歌う事で、増幅して行く映画の中の儚い夢の様な感覚は充分すぎるほど伝わって来る。あまりにもスタンダードすぎて最近まで歌詞を見る事はなかったが、歌詞を知り、ビリーが歌う事の意味を知る。黒人という現実から訪れる悲劇や、愛とは無縁の環境の中で起った出来事を1つずつ確かめながら、それでも力強く歌う事でどんどん時を溯って無垢な子供に返って行く。黒人霊歌の様に少しだけ軽やかに、ゆっくりと・・・揺れる揺りかご。そして、なだらかな丘を子供の頃の自分に手を引かれながら、私も短い眠りに落ちる。
Rise

 2001/09/04
 私が手を放した人の、笑顔はすべて夢の中。その中に垂らした釣り針で3つの会話を釣り上げようと、腰掛けた岸壁で時間は止まる。沈んだ太陽。泥だらけの海。静かに波打つ水面は明日もまた同じ輝きを放つ為の準備を整え始めている。そのたゆたう水面の輝きは月の反射で、君の持ち物ではないが海はさも自分の持ち物の様な顔で美しい衣をまとう。一定のリズムを刻みながらうねりを増して、死を見つめ始めた人の心を癒す。
凡人の義務 

 
2001/08/27
 表現したいのにうまく出来ない事がある。誰に向ってではなく自分の中に還したい事があるのに言葉がうまくまとまらず、自分の無知無能さ加減に腹立つ。これが凡人の限界?空想の年齢制限?ここが最終地点なのかと自問しながら周りを見回してみれば、私と同じ無能な凡人達が残りわずかな時間を浪費しながらも細分化された情報をかき集め、我物の様に排泄している。最低の義務を忘れ、いつも同じ場所を巡回しながら爆音の中で自慰している。凡人の義務。空中の表現。まだまだ言いたい事はある。ゆっくりとでも言葉を捜し続けなくてはいけない。
   
60年代

 2001/08/03
 私は「どんな音楽が好きか?」と聞かれたら、まず「60年代物」と答える。続けて「中でもサイケデリック」と答えるだろう。サイケデリックといってもPOPなものからメタリックな物まで多種多様であるが、私のいうサイケデリックとは、どこか壊れていて型にはまらず、かつ違う世界を感じさせてくれるロックを言う。変なfuzzギターがいきなり入って来たり、異常な程リバーブがかかっていたり、何故そうなるかという程展開がひねくれていたり・・・。そして、60年代が好きなのは、フォーク、ブルース、ロック、JAZZ他様々な音楽を、精神面も含めてクロスオーバーさせる実験をした最初が60年代で、そこにはPUNKやオルタナティブやテクノ他、現在ある全ての音楽の原形が見られ、それ等をドラッグでシェイクしサイケデリックという異型な音楽が出来たと考えているからだ。有名どころで言えば、ドアーズ、ピンクフロイド、ステゥージズ、サタニック・マジェスティーの頃のストーンズや、サージェントペパーやホワイトアルバムのビートルズ、etc.。もちろんどうしようもないレコードもある。が、そんな音楽ですら60年代のまだ器材の発達していないチープな音の奇妙なエッセンスが振り掛けられているのを感じると、愛着を感じてしまうのである。

                           ***身近なサイケデリック/アルバム***
Jefferson airplane「surrealistic pillow」、The Electric prunes「I had too much to dream last night」、Tomorrow「same」、The Pretty things「sf sollow」、Silver apples「silver apples & contact」、The Doors「strange days」、Pink floyd「the piper at the gates of dawn」、The 13
th floor elevator「easter everywhere」

    
SICP

 2001/07/06
Repeater
 
2001/07/06
 年老いたエディプスは突然ダンボールにくるまって終わる。退化した構想に胸躍らせるばかりで進歩する事無いEATERはただ勘違いの毎日。
       
タイムリミット

 
2001/06/27
 タイムマシーンで此処じゃない此処まで。TVの中の爆撃機を見なくて済んだかもしれないし、泣かなくてよかったかもしれないから。だから幼い日を確かめて、輝き時間を腰に巻きつけて、でも引き寄せようとすればまた此処に逆戻り。あの時の此処は33回転で、45回転の母親に追いかけられたアパートの階段の途中でガラスケースを落として傷つけた。中身は私の脳に擦り込まれた青い民族の音。高まる鼓動。しかし、今では回転数は何の意味も持たず、ますます完璧な君達との溝は深まるばかり。”summertime”最後の溝に汚れた爪でスクラッチを入れて、タイムマシーンを呼んだ所で私は手足を無くしてしまった。
       
Son

 
2001/06/05

Speed-2

 
2001/05/23
 スピードはますます速くなっている。否定と肯定の振幅はますます速くなって、止まりつつある思考の中で感覚だけが鋭くなって行く。ジェットコースターで急降下。未だ終わらない昨日の延長に振り回されながら、人より遅れた10年は何も解決される事の無いまま底無しの泥沼にまた頭から突っ込んで行く。いつか見た吸込まれてしまいそうな高い空や、金色に泡立つ波と輝く海は瞬く間に通り過ぎて行った。沢山の顔、顔。一瞬にして年老いた。私は何をしてあげられるのだろう?ジェットコースターはまた登り始めている。
 
ピクニック


 2001/05/21
 塀の上を何処までも歩いた。何処を目指す訳でもなく、ただ外の世界が見たくて。足元にはほんの少し規則があって、一緒に歩く為にはそれだけは守らなくてはいけない。長く歩いた森の前で、笑いながら友達は姿を隠す。塀の下の緑の中へ踊りながら消えていった。3人が1人へ、1人が2人になった。秩序は心を乱すだけだが、無秩序から奇跡は起らない。うそつき・・・黒い羽を持つ美しい顔の人は、海に浮かぶコンクリートの塊の上で真赤な夕焼けを浴びながら崩れ落ちて行った。沢山の紅く染まった黒い羽がゆっくりと宙を舞い、ピクニックはここで終わり。雨の中の長いキス、滴る汗の中で泳ぐ魚、風鈴の焦燥、2度目の子供達の歌声。凡人は、塀の上から確かにそこにある何かを見つける。
        
Primal Tone
    
〜最初の音

 2001/04/20
 SPEARMEN久々のシリーズ・ギグ「primal tone」がスタートする。主旨は、タイトルにもある様に、一番シンプルで敏感な感覚から発せられる”最初の音・原始の音”を1つのライブを通して表現する事だ。新しい音、新しい声、新しい顔、そして新しい観客、それぞれが共鳴し合ってその空間に新しい緊張が生まれる。それが、私がライブハウス通いを始めた頃の最初の感覚であり、そんなトキメキを今でも感じたいのである。♯1の出演は、ノーニューヨークの臭いぷんぷんの”gaji”、じゃがたらを彷彿とさせるheavy funk”八百長”、サイケPOPな”ミルラ”、そして復活して更にソリッドに、更にテンションを上げている私達”SPEARMEN”の4バンドである。見終わって、もし何かを感じたらBBSに書き込んで下さい。そこから何かが始まるはずです。

Speed

 
2001/04/04
 昔、”SPEED”というバンドがあった。もちろん最近まであったアイドルグループの事ではない。80年代の初期まで活動していたバンドで、「kiss−off」という名盤LPを出していた。村八分にPUNK〜NWをふりかけた様な音楽だった。このバンドには後に”チャンスオペレーション”EDPS”に加入するドラマー「BOY」がいて、SPEARMENの初代ドラマー望月がかなり影響を受けていた。もちろん私も大好きで、SPEARMENの前身バンド時代に2〜3曲カバーした事がある。かなり昔の話だが、SPEARMENサウンドの基盤の一端はこの頃に培われたのだと思う。タイトでひねくれたサウンドや思考。この頃から人と同じ事は絶対やらないと思っていたし、今でもそう思っている。そう、確かにあの頃はテクニックなど無くても色んなバンドが自分の音を発しようとしていた。そして2001年、沢山のバンドは情報のコピーに明け暮れている。
Reset
 
2001/04/03
 時間をリセットして、出会った人達をリセットして、頭の中をリセットして、また初めから短い空をつなぎあわせる。大好きだった人達が新しく生まれ、花が咲いて、沢山のしわを埋める笑い声は永遠になる。

Movie

 
2001/03/22
1.once upon a time in america/ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
      (セルジオ・レオーネ)
2.plein soleil/太陽がいっぱい(ルネ・クレマン)
3.sacrifice /サクリファイス(アンドレイ・タルコフスキー) 
4.permanent vacation/パーマネント・バケーション(ジム・ジャームッシュ)
5.quadrophenia/さらば青春の光(フランク・ロッダム)
      
背徳うさぎ
     〜ラビッツの世界

 2001/03/13
  宮沢正一&ザ・ラビッツのCD「ラビッツの世界」が出た。内容は、カセットやソノシートで発表された物をまとめた物だ。私はそのカセットの前に出た宮沢氏のソロLP「人中間」と、遠藤ミチロウ編集のミニコミ「Ing’O!」の付録ソノシートを持っていて良く聞いた。カセットは持っていなかったが、その一部は元ラビッツの川北君から聞かせてもらっていた。ラビッツの音は、初期のPILがぶっ壊れた感じで、宮沢氏はイカレたカラスが陰湿な情念を吐き出すように歌っていた。当時見たLIVEでは、あまりのテンションの高さで最後には宮沢氏の弦のほとんどが無くなっていた。そんな事を思い出しながらこのCDを聞き、改めて宮沢氏の世界にある日本語のすごさと怖さを感じた。日常会話が日本語なくせに、照れと表面上の格好良さの為に英語で歌う最近のバンドとは明らかに違うもっと深い所にある物を感じた。奇妙な人間のLOVE SONG、醜さをも表現してしまった歌、しかし、それも人間なのである。私は他人の借り物ではないそんな歌が好きなのである。
    
ラジオ

 2001/03/09
  父がうつ伏せに寝そべってラジオに耳を傾けている。小さめのボリュームで野球放送を聞いている。1976年の少し涼しくなった夏の夜に、私の耳に届いたのは父に無視されて行く当てを無くした美しいノイズだった。そのノイズはゆっくりと私の所にやって来て優しく私を誘い出した。まだ小学生で生意気な妹と母のとりとめの無い会話や、目を閉じたまま静かに呼吸している父の顔、アパートの汚れた壁、シールの貼られた勉強机、だんだん小さくなってノイズに包まれた私の体は気がつけば宇宙の中を浮遊していた。美しいノイズ、きらめく光、どんどん心が軽くなっていった。

Ghost70

2001/03/02
  影は心の中で手錠をすり抜け、まぶしげな顔で手すりを伝って歩く。その行先は核心に近づくが、扉を開ければ床に座り込む人がいて、滴る汗を拭いながら少女の頃の夢を見続けている。その人の両手に抱えられた花束は解かれる事無く濡れているから、影はまた息を潜める。その瞬間に訪れる音塊の絶頂の中に姿を現す鉄の鳥と銀緑の風、私と共にアメリカンTVに弾丸をぶち込め。
Fusion 
 
2001/02/21
C   O   N   F   U   S   I   O   N

幻丘


 2001/02/16
  この世界は私の作り出した幻。誰もいなく、時の流れも無い。目を閉じて眠りにつけば、明日にはまた新しい幻を現実だと受け止めるだけ。人々の苦しみさえ私の作り出した一つの世界で、その先に見える光の中にまた新しい生命が産み落とされる喜びを想像している。母の割れた喉から漏れるため息は、悲しみのあまり背中に回って空虚な痛みを増して行くが、友の顔はただただ優しく、淡青な水中で花を咲かせる。ガキの頃に聞いた町田の歌に重過ぎる現実に楔を打ち込まれ、怒りと焦燥の海にまた身を浸す夢の中へと帰ろうとする頃、目を開ければサイダーの中で眠りについた人達の手の暖かさを感じる現実に出会えると思いたい。

シーレ

 2001/02/14
  1900年代初期。エゴンシーレの自画像。壊れる寸前のギリギリの肉体からあふれ出す情熱は、百年の時を超えて私を打ちのめした。その絵の前から離れられなくなった。ウィーンにはクリムトやルドン、沢山の天才達がひしめき合い、まるで70年代初期のNYのごとく眩しかった事だろう。いつか見たシーレの伝記映画の中で、獄中の天才に投げ込まれたオレンジが泥だらけの床に転がった。とても美しく輝いていた。28年間の輝き。無くしてはいけない。

                   2001/01/21
      Heaven's door
                   Live! Live! Live!

                heaven-doors   

            


TV personalities 

 2001/01/12

   「painted word」というこのページのタイトルはtelevision personalities(TVP’s)というバンドの曲名から付けさせて頂いた。
 このバン ドは英国のバンドで、70年代から活動しているバンドだ。私が初めてTVP’sを知ったのは81年の事で、原宿竹下通りの入口にあったレコード屋で入手したのが最初である。それはラフトレードという英インディレーベルが12枚まとめて出したEpの中の1枚で、数枚入手した中に偶然あった。ヘタヘタ・スカスカで簡単なくせに妙に心に引っかかるEpだった。ちなみに、A面の「シドバレットはどこ?」は、ソロライブで数回歌った事がある。80年代前半は下手なくせにインパクトのあるすばらしいバンドがやたら多かった。
 「painted word」は84年頃発表されたアルバムで、ガレージバンドが深く沈み込む様な音を出していた。偶然見つけた”painted word”のビデオクリップもやはり混沌としていて最高だった。レコードのジャケットはモノクロのメンバーの写真が使われておりcoolだった。そして、更に私の心にTVP’sは深く染み込んで行った。painted word。一見カラフルそうな言葉のくせに、実は全てが麻痺している風景を見せられている。そんな感じが好きでこのページのタイトルを付けた。
 TVP’sは現在も活動している。ぜひ、初期のアルバムを聞いてもらいたい。

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